コラム
太陽の塔に兄がいるって本当?
若い太陽の塔は、美術館の記録で「展望タワー」と呼ばれていて、中腹に展望台があります。
大阪の太陽の塔に「兄」がいるというのは本当でしょうか。大阪の太陽の塔の1年ほど前に、愛知県犬山市に岡本太郎の「若い太陽の塔」が建てられ、名鉄はこれを太陽の塔の「兄貴分」と書いています。
大阪の塔より先に建ち兄と呼ばれます
若い太陽の塔は岡本太郎の作品で、愛知県犬山市の日本モンキーパークの中、犬山市街地を望む山の上にあります。名古屋鉄道はこの塔を、大阪万博の「太陽の塔の兄貴分ともいえるモニュメント」と呼んでいます。太陽の塔とは「兄弟に例えられる」塔ですが、中日新聞の記者は「犬山に来てからよく目にするが、それ以上のことは聞かない」と書いています。
若い太陽の塔は、大阪万博の1年前の1969年に造られました。大阪の太陽の塔の工事は、1969年1月から1970年3月まででした。若い太陽の塔が犬山に建った1969年、大阪の太陽の塔はまだ工事のさなかでした。
大阪の太陽の塔には顔が4つあります。若い太陽の塔には、そのうち正面の「太陽の顔」と同じ顔が掲げられています。正面の「太陽の顔」は、4つの顔のうち「現在」をあらわす顔です。
若い太陽の塔のてっぺんの顔は直径4mで、まわりを11本の炎が囲みます。大阪の太陽の塔の正面にある「太陽の顔」は、直径約12mあります。
美術館の記録では展望タワーと書かれます
川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎が1969年に作った若い太陽の塔の原型を持っています。原型はFRPでできています。美術館の記録の注には「愛知県犬山市犬山ラインパークに建設された高さ30メートルの展望タワーの原型」とあります。
中日新聞と和樂webは若い太陽の塔の高さを26mと書いていて、美術館の記録の30mとは数字が割れています。図1で見ると、若い太陽の塔は、高さ約70mの大阪の太陽の塔の腕の高さくらいまでしかありません。
2022年の和樂webの記事では、塔に中腹まで登れる螺旋階段があり、高さ7mの展望台から、天気が良ければ名古屋のビル群も見えるそうです。2021年の中日新聞の写真には、展望台から濃尾平野を見渡せると説明が付いています。大阪の太陽の塔は中を階段で30mまで上がれますが、若い太陽の塔の展望台は7mの高さです。
- 若い太陽の塔の原型(Art Platform Japan・川崎市岡本太郎美術館の所蔵品)美術館が持つ原型の記録。「展望タワーの原型」という注が付いている
万博の前の年の催しのために作られました
1969年、いまの日本モンキーパークがまだ犬山ラインパークと呼ばれていたころ、大阪万博の前の催し「万国博と世界お国めぐり」が開かれました。名鉄はこの催しのシンボルタワーを岡本太郎に頼みました。制作費は当時のお金で7000万円でした。
2025年の犬山市の観光戦略会議で、委員の1人は、名鉄が岡本太郎に「太陽の塔のもう少し若い版を作ってくれ」と頼んだと話しています。塔の記念の板には、岡本太郎の言葉「ひろびろとした丘の上に”若い太陽”が生れる」が書かれています。同じ板には「金色に輝く顔はおおらかに」「バイタリティを放射する赤 青 緑の装いは 濃い青春の彩である」と続きます。
一度取り壊されてからいまの丘へ移りました
犬山市の観光戦略会議の委員の話では、若い太陽の塔は最初、いまの日本モンキーセンターの場所に建っていました。そこに建っていたのは約8か月で、そのあと取り壊されました。日本モンキーパークの係員の話では、塔は動物園の側に建っていて、「動物園に人工物があるのはいかがなものか」という意見が付きました。
若い太陽の塔は、1975年3月にいまの丘へ移されました。大阪の太陽の塔は、同じ1975年に永久保存が決まりました。
修復を経て2011年にまた公開されました
若い太陽の塔は2003年に、まわりの公園も含めて立入禁止になりました。その冬までは、塔へ続く道に自由に入れました。塔のある丘へは、2003年ごろまでケーブルカーが片道100円で通っていたそうです。
2010年の春、若い太陽の塔は、立入禁止になってから7年ぶりに特別に公開されました。特別公開では、決まった集合時間に集まった人を係員が連れて歩きました。日本モンキーパークにある岡本太郎のもう1つの作品「坐ることを拒否する椅子」も、塔の下に一緒に並べられました。
若い太陽の塔は、修復と塗り直しを終えて、2011年10月1日から一般に公開されました。修繕にかかった3000万円のうち、400万円は市民の有志の寄付でした。
- 7年ぶりに公開となった「若い太陽の塔」(トッピー 2010年)2010年の特別公開のときの、塔と展望台と記念の板の写真
いま、また傷みはじめています
若い太陽の塔は、いままた傷みが進んでいます。2025年8月20日には、犬山市の観光戦略会議で塔のことが取り上げられました。委員の1人は「2000 年に入って修復していますけどだいぶ傷んできています」と話し、塔を「市民の力を使って維持管理しながら未来へつなげていく」ことも語りました。
犬山駅前の西口に塔を置く案もありました。同じ会議で商工会議所の委員は、10年ほど前に名鉄の人へ「犬山駅前西口に置けないですか」と話したことがあると述べ、塔は「ずっと誰も存在を忘れてしまって」いたとも話しました。
2025年の秋には、岡本太郎と霊長類と若い太陽の塔をテーマにした展示とトークの催しが予定されていました。その中には、若い太陽の塔がどこから見えるかを歩いて探す回も組まれていました。
大阪の太陽の塔の永久保存が決まった1975年に、若い太陽の塔は犬山のいまの丘へ移されました。
見に行ける所
出典(10件)
- 名古屋鉄道「大人アガル犬山 旅のしおり アート・工芸・建築」(2026-10-24取得)
- Art Platform Japan「若い太陽の塔」(川崎市岡本太郎美術館の所蔵品)(2026-10-24取得)
- 犬山市 観光戦略会議 会議録(2025年8月20日)(2026-10-24取得)
- 中日新聞「<わが街ぶらり探訪>犬山の「若い太陽の塔」」2021年9月8日(2026-10-24取得)
- トッピー「7年ぶりに公開となった日本モンキーパークの「若い太陽の塔」」2010年4月4日(2026-10-24取得)
- 和樂web「犬山市日本モンキーパークに岡本太郎・若い太陽の塔がある理由とは?」2022年11月21日(2026-10-24取得)
- 太陽の塔オフィシャルサイト・太陽の塔とは(2026-10-24取得)
- 太陽の塔オフィシャルサイト・ご利用案内(2026-10-24取得)
- 文化庁・昭和の文化財「太陽の塔」(2026-10-24取得)
- 日本モンキーパーク(2026-10-24取得)